皆さまこんばんは。

本日3/1は阿蘇家の宝刀蛍丸が作られた日にちですね。
少しではありますが、今夜は蛍丸についてお話したいと思います。
宜しくお願いします。
返信 リツイート お気に入り
蛍丸について①】
江戸時代の記録では『地鉄細やかにしてうるわしく、焼刃は小直刃と見紛う程に小乱を焼き、横手下より帽子のかえりまで連なりて小沸あり、如何にも見事なり(中略)数百歳の今、磨き減したれども、普通に越えたる大太刀なり。』とあります。
※刀剣或問より
返信 リツイート お気に入り
【蛍丸について②】
蛍丸は阿蘇惟澄佩刀と伝わります。
惟澄は阿蘇神社の社家の一つ恵良家の出で、当主惟時の娘婿です。つまり奥さんより惟澄の方が身分が下になる訳です。
こういった経緯もあり、最初蛍丸を佩刀していたのは惟時の長子惟直だったのでは無いか…とも言われています。
返信 リツイート お気に入り
【蛍丸について③】
多々良浜の戦いで負傷した惟直が、後方にいた惟澄に蛍丸を託したのでは無いかと山都町では伝わっています。
惟澄が後方に居た理由は、多々良の戦いより以前の戦いで既に負傷していたからと考えられます。
返信 リツイート お気に入り
【蛍丸について④】
惟澄は蛍丸を手にし、追いすがる敵を払い肥後に帰郷しました。
蛍丸を惟澄に託した惟直と弟惟成は肥前小杵山(おつきやま)で自害。現在は佐賀県天山頂上に墓所があります。天気が非常に良い時には阿蘇の煙を望む事が出来ます。 pic.twitter.com/lPvDf6uOpo
返信 リツイート お気に入り
【蛍丸について⑤】
肥後に帰郷したあとも惟澄は阿蘇家のために戦いに明け暮れました。
家中の支持で当主となった惟澄でしたが、晩年は病気で腕の自由が利かなくなっており、蛍丸は惟澄の補佐を務めていた次男の惟武に譲られました。
返信 リツイート お気に入り
【蛍丸について⑥】
惟澄の死後、阿蘇家家中は二つに分かれました。しかし数年後、惟武が戦死すると蛍丸は惟武の首を埋葬した場所からほど近い神社へ預けられました。
返信 リツイート お気に入り
【蛍丸について⑦】
その後は阿蘇家に戻り、家の家宝として大切に扱われてきました。江戸時代に入り、阿蘇家が矢部(現在の山都町中心部)の浜の館から阿蘇一の宮へと移住した後も重宝としての扱いは変わる事はありませんでした。
返信 リツイート お気に入り
【蛍丸について⑧】
現在蛍丸と言う名前の刀剣類は幾つかあり、どういった経緯で名前が付いたのか、または作られたのかは良く分かっておりません。
本物の蛍丸の行方に繋がるのでしょうか…

この件はまたお話出来る様でしたらお知らせ致します。
返信 リツイート お気に入り
【蛍丸について⑨】
本物の蛍丸は今も捜索が続けられています。本物がどんな形や姿であれ、戻ってきて欲しいものですね。

と…ざっとお話しましたが、詳しくは当企画展でご確認下さいませ!
井口祐一さんの優しい声の音声案内でご説明が入ります。╭( ・ㅂ・)و
返信 リツイート お気に入り
ここまで見て頂きありがとうございました。3/19(土)には山都町で日向往還歴史ウォークが開催されます。
今年は阿蘇家散策コースが設けられております。
当日受付も行っておりますが先着50名様です。是非ご検討下さい。
town.kumamoto-yamato.lg.jp/kanko/event_ca…
返信 リツイート お気に入り
【企画展の写真につきまして】
当企画展の写真撮影は蛍丸の原寸写真、阿蘇家の史跡を案内したパネルなど撮影可能マークがあるものが対象です。
個人のSNSやブログなどにアップするのは問題有りませんが、企業やホームページでのご利用の場合は必ず山都町観光協会までご一報下さい。
返信 リツイート お気に入り