徳川美術館
とりあえず徳川美術館のサービス精神半端ないなと思いました
徳川美術館レポ

鯰尾藤四郎
・小牧長久手に関するストーリー。鯰尾は確実に人を斬った刀である
・大坂夏の陣からどのように家康の手に渡ったか
・戦国時代のものではないが、要望に応え19世紀に作られた拵えとセットで展示する
徳川美術館レポ

村正
・なぜ村正が妖刀と言われるのか。徳川4代に及ぶ話
・村正は7/7から先行展示

本作長義
・本作長義自体は山姥を斬ってない。堀川国広が打った写しの刀が山姥を斬ったため、もとである本作長義も山姥切という名がついた。が、区別するため本作長義という
物吉貞宗
・戦に帯刀すると必ず勝ったことから「物が良い」と言われる刀。御分物とは別ルートで尾張徳川家に伝来し、当家にとって最重要の刀
・拵えとセットで展示する
南泉一文字
・天皇即位式の際、秀頼は二条城で家康と対面。即位式のためとはいえ、この行為は豊臣が徳川の家臣に下ったことを印象づけた。この時南泉は秀頼から家康に下賜された。しかし世間的には秀頼から家康への献上とみなされた。徳川と豊臣の主従逆転に立ち会った刀である
包丁藤四郎
・大谷吉継が自害に用いた刀ではない(もしそうなら大々的に宣伝してる)

刀剣以外の見所
・天下人家康の褌が24年ぶりに展示!!
会場には40~50人の人。主に若い女性で異様な一体感。更にテレビ局の取材。撮られたくないと苦戦する審神者たち
さらに本作長義の詳しい解説が書かれたレジュメをコピーして配布してくださったよ…サービス精神の極み
本作長義と山姥切国広について。掲載許可いただいたので pic.twitter.com/BYqLxZnFxt
山姥切のレポがめっちゃRTされてるけど、私の聞き間違いでなければ山姥を斬ったのは国広作の方だと言われてるらしい
「本作長義にも山姥切という名がついた」というのは山姥切という号が与えられたというよりは山姥切国広の方が有名になり、本作長義は山姥切の元であるという認識が強まったということなのか?山姥切クラスタの方々教えてください…
私が山姥切の号が与えられたと解説を解釈してしまっただけかもしれないのでその場合はご容赦ください
他の方のレポも合わせて読んで戴いた方が確実
さっきのレジュメも本作長義の欄で山姥について触れてなかったし国広作が山姥を斬ったってことでいいのかね
徳川美術館レポをRT、お気に入りしてくださった方々へ。私も話を聞きながら急いでメモしていたので、聞き逃しやミス等があるかもしれません。掲載内容に間違い等ある場合はご容赦ください。また、そのような場合はご指摘くださればありがたく思います。